2020/09/20 12:00
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【ごきげん暮らし便り】とは
毎月1日にGOKIGEN Nipponの代表 北原太志郎がジャーナルを投稿します。そこで浮かんでくる問いのようなものを受けて、さらに他の寄稿者が発信をします。ちょっとした文通のような、ご縁がつなぐ企画です。(毎月1日、10日、20日に更新)
▼今月の北原太志郎のジャーナル
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「あなたが『その土地の人と一緒に汗をかきたい』と思えるところはどこですか?」
という問いかけを、友人のだいしろーからもらったので、つらつらと思ったことを書いてみようと思う。
ちなみに僕は、2009年の秋、東京から島根県の離島、隠岐諸島にある海士町(あまちょう)という2300人足らずの島に引っ越してきた。廃校寸前だった島の高校を元気にするために、島にある高校の教育を磨いていくプロジェクトに参画し、公立の塾を立ち上げた。そこから11年、ありがたいことに子どもも生まれ、家族4人で暮らしながら、島で教育に関わる仕事を続けている。
だいしろーの問いかけに戻ろう。
『汗をかく』。
汗をかくということが、何かしらの象徴なんだろうなと思いながら、まずは文字通りの「汗をかくこと」について考えてみる。
東京の麻布十番に住みながら恵比寿で働いていた頃を思い出してみると、そもそもあの頃、汗かいてたっけ?と思う。
汗をかかないように空調が効いた、コントロールされた部屋。仕事をするのに最適化された環境で(当然そうでない環境もあるのだけれど)、自分は仕事をしていた。
ただ、問いをよく見ると、『一緒に汗をかきたい』とある。
そもそも、自分自身、東京時代に誰かと一緒に汗をかいた経験ってあったんだろうか?
週末友達と多摩川の河川敷でBBQやったり、群馬の水上に行ってロッククライミングしたり、池袋近辺で100人の仲間と集まってミュージカルの練習をしていたときは、たしかに共に汗をかいたりしてたけど、仕事をするシーンにおいて、誰かと一緒に汗をかくってなかったぞ、と。
そしてそして、よくよく見てみると「その土地の人と一緒に汗をかきたいと思える・・」とある。(最初から、ちゃんと問いを見ろよ、自分!笑)
その土地の人と一緒に汗をかきたい???
麻布十番に住んでいた頃は、同じマンションの住民、誰一人知り合いなんていなかったぞ!と思いながら、そもそもの、その土地の人とつながっていたり、つながり持つことなんてなかったよな、都会では、なんてことを考えた。
だいしろーが言わんとすることは、「リアルに汗をかく」ということではなく、「ともに協働したり、苦労しながら何かしらのプロセスを一緒につくっていくこと」を言っているんだろうけど、それを超える何かを「汗をかく」という言葉から受け取ってしまう。
「働くこと」と「暮らすこと」「遊ぶこと」の間に、もしかすると境界線があって、ここで訊かれている「汗をかく」という言葉が意味するものは、「働くこと」の外側で「誰かと一緒に何かをやる体験」なのかもしれないな、と。
福岡の大牟田出身の僕は、生まれてから今に至るまで、広島市、東広島市、東京都江戸川区葛西、福岡市早良区、尼崎市、下北沢、横浜市青葉区こどもの国、麻布十番、そして海士町と多様なところに住み・暮らしてきた。その中で「都会」と「田舎」というように、「田舎」をひとくくりにはできないけれど、それでもなんとなく、それぞれの特徴が見えてきた気がする。
そんな、いろんな土地で暮らし、仕事をしてきた自分からすると、(うまく言語化できないのだけど)だいしろーが言う「汗をかく」という言葉は、「都会」の外側にある気がしたし、「働く」の外側にある気がした。
田舎の小さなコミュニティーの中で長く暮らすことで見えてくるものもある。
都会で感じていたバランスをとるべき「Work」と「life」は、田舎ではミックスされている感覚。
「アイデンティティー」は、都会では個人として持つものだが、田舎では「地域」や「集団」として持つことが望まれる、ということ。
田舎で暮らすときには、自分の中の一部だけで判断されるのではなく、自分まるごとを判断されことになるということ。
人数が少ないと、自分の責任が増す分、そこに自分の役割が出来るということ。
強いつながりは、時として(ネガティブにとらえれば)しがらみ、となること。苦笑
効率化しないことで生まれる、多世代間のコミュニケーション、伝承される知恵や文化があるということ。
都会のモノサシと、田舎のモノサシ、どちらも大事で、片方のモノサシだけで、幸せや豊かさをはからない方がいいんじゃないかな、ということ。
いろんなことを感じるようになった今だからこそ、何気ない「汗をかく」という言葉の裏側に、何かを感じるのかもしれない。
「都会」や「働く」の外側にある気がした「汗をかく」という行為や感覚は、自分の「好きなこと」や「WILL(やりたいこと)」は置いておいて、自分が住んでいる具体の土地を、自分で、自分たちで担い、まもっていくために、土地に住む仲間と一緒に力を合わせていく、極めて真正性の高い行為に由来しているのではないか、と思う。
「あなたが『その土地の人と一緒に汗をかきたい』と思えるところはどこですか?」
というだいしろーからの問いが、自分に対して投げかけてくれたものは、今まで(特に東京に住んでいた頃)自己の幸福を追求するがあまり、住んでいる特定の土地やコミュニティー(ひいては自分たちの国をも)自分が担うんだという意識の欠如や、担うということに対する責任のなさ、に対する警笛なのではないかな、とも思う。
自分の好きなことをやりながら、一方で、自分たちの土地を守り次の世代の人たちにバトンを渡そうと、腹をくくって、いろんな課題に向き合って粛々と努力し続ける土地の人たちを、僕はリスペクトするし、そんな人たちと一緒に汗をかきたいなと、強く思う。
豊田庄吾
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名前:豊田庄吾
所縁のある地域:福岡県大牟田市、広島市、東広島市、東京都江戸川区葛西、福岡市早良区、尼崎市、下北沢、横浜市青葉区こどもの国、麻布十番、海士町など
1973年、福岡県大牟田市生まれ。
大学卒業後、大手情報出版会社を経て、人材育成会社にて研修講師・出前授業講師。
2009年島根県海士町(あまちょう)に移住。高校統廃合の危機にある隠岐島前高校の「高校魅力化プロジェクト」に携わり、高校連携型公立塾(隠岐國学習センター)を立ち上げ、現在同センターのセンター長。学校と地域が一体となった人づくりの実践者として、人口減少に悩む地域における人づくりのありかたを探るべく挑戦中。
島根県を中心にこれからの学びのあり方に関する教員研修や、2020年度新設された社会教育士講習の講師も担う。
総務省地域力創造アドバイザー、島根県社会教育委員。
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