GOKIGEN Life

2020/08/10 12:00



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【ごきげん暮らし便り】とは
毎月1日にGOKIGEN Nipponの代表 北原太志郎がジャーナルを投稿します。そこで浮かんでくる問いのようなものを受けて、さらに他の寄稿者が発信をします。ちょっとした文通のような、ご縁がつなぐ企画です。(毎月1日、10日、20日に更新)

▼今月の北原太志郎のジャーナル
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古民家仲間の北原太志郎さんから
(以下、いつものように「だいしろー」と呼ばせていただきますね。)
「あずかりもの」というお題をいただき、ちょっと書いてみます。

ここはだいしろーが住む松川町のお隣、車で5分もかからない上伊那郡中川村です。

私は27歳の頃に脱サラして地球一周の船旅を経て、16年前に帰村しました。
それは、ちょうど両親が家を建て替えたいと言い出したタイミングでした。
うちも北原家と同じく江戸末期、黒船が来た頃に建てられた古民家です。

子供の頃は別に好きでも嫌いでもありませんでしたが、
帰ったばかりの私の目には、この小さな村はとても豊かで新鮮に映りました。
この土地の石や土や、立派に育った木で作られた生家はとても素敵で
かけがえのないものに思えました。

生まれ育ったこの家を守りたい、残したい。
そして、この足元にある農村の文化や歴史にもっと触れたい。
そんな風に思うようになりました。

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一昨年の3月まで、我が家の敷地に1本の大きな榧(かや)の木が生えていました。
高さ28メートル、枝張り16メートルの巨木です。

でも、その前の年の瀬に、嵐が吹いて大きな枝が轟音と共に折れてしまいました。

榧は痛々しくもまだ元気そうに見えましたが、
「この枝が折れたということは、芯が腐っている可能性がある」
と専門家の方に言われて泣く泣く伐る運びとなりました。

突然の別れの悲しみと、守りきれなかった申し訳なさ…
でもその方から同時にいただいたアドバイスは、
「木は二度生きる。今伐れば木材としてまた長く使えるよ。あなたが託されたね。」

そうだ、せっかく伐るなら何か作ろう!
そして大事に使おう!

それからは夢中で動きました。

ここまで傷んだ木は、支障木として処分されてしまうか
市場で安く買い叩かれてしまうのが普通とのことでした。
でも諦めきれなかった私はいろいろな人に相談して、
どうにか太い幹を製材所へ運んでもらえることになりました。
そして枝に至るまで、使えそうなところはなるべく残しました。

伐って運んで板にして乾燥させて加工して、ようやく木は木製品に生まれ変わります。
許してくれた父や木こりの友人やお世話になっている大工さん、製材所のおじさん達のおかげです。

いま、あの大きな榧の木は
木工職人さん達の手によって小さな材からだんだんと生まれ変わっています。

バターナイフ、豆皿、木べら、スプーン、木蓋のキャニスター、お弁当箱…

毎日の暮らしで触れる道具たちに
ありがとう、と自然に声をかけたくなります。
300年生きた榧に。
植えて育ててくれた先祖達に。

私が生きている間に、一つくらいは300年先まで残るものを残したいな。
そしてまた、この土地に榧を植えて育てよう。


米山永子







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お名前:米山永子
所縁のある地域:長野県上伊那郡中川村生まれ。
山梨県都留市、長野県南箕輪村、群馬県片品村、徳島県神山町、沖縄県今帰仁村・西表島、三重県鈴鹿市

2000年 都留文科大学国文学科卒業。精密機器メーカー勤務。
2004年 脱サラして地球一周の船旅に参加。中川村にUターン。
2006年 手作り味噌のおいしさに感動して、大人の部活動「みそ部」を発足。年に何度も味噌仕込み会を企画する。
2010年 シロアリのピンチを乗り越えた仲間達と、古民家に「ホンムネくん」という愛称をつける。季節の手仕事やイベント、竹細工教室などを企画。
2016年 「古民家七代」として体験型の民泊を開業。「信州中川村で味噌を仕込む古民家ステイ」などを主催。

古民家七代HP(ブログはサボり中)
インスタグラム、Facebook更新中
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