2020/08/01 12:00
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【ごきげん暮らし便り】とは
毎月1日にGOKIGEN Nipponの代表 北原太志郎がジャーナルを投稿します。そこで浮かんでくる問いのようなものを受けて、さらに他の寄稿者が発信をします。ちょっとした文通のような、ご縁がつなぐ企画です。(毎月1日、10日、20日に更新)
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ふるさとである長野県下伊那郡松川町。
幼少期を数年過ごした後、すぐに東京に出て、都会での暮らしを30歳まで送った。
それでも心の奥底に、「いつかは帰りたい場所」として刻まれていたのを覚えている。
夏休みのたびに帰省すると、優しく迎えてくれた祖母。
暗くなるまで弟と一緒に野山を駆けまわり、虫をつかまえ、竹細工をして、囲炉裏に火をおこして楽しむ。
夜は祖母と過ごすゆっくりとした時間。
自分にとってかけがえのない大切な場所だった。
夫が亡くなり、息子や孫たちが東京に行ってからの20数年間、祖母は一人でこの家を守ってきた。
日々、どんな気持ちで過ごしていたのだろう。
30歳となった年に、私はふるさとへのUターンを決意した。
初めての祖母と二人きりの夕食の席。
「あんたはこの家の人、もうどこにも行っちゃいかんに。」
祖母から何かをお願いされることはこれまでなかった。
この一言は、深く私の心に刻まれた。
あれから10年が経った。
コロナ禍で家にこもっていた3カ月、毎朝生家の土地を歩き回ってみた。
こんなことをしたのは初めてだ。
田んぼ、畑、野原、竹林、ヒノキ林…毎日歩いては、日々変化していく自然と対話をしていた。
あるときふと気づいた。
「ここにある田畑も木々も草花もすべて、誰のものでもない」と。
ここにあるものはすべて何一つ自分が作り出したもの、生み出したものではない。
先人たちから、自然界から、たまたまこの時代この家に生まれ落ちた自分に託された「あずかりもの」。
誰かからあずかったものは大切にして、次の世に受け継いでいきたい。
そんな温かく優しい気持ちに包まれた。
20数年間、たった一人で家を守り続けてきた祖母の気持ちが、ほんの少しわかった気がした。
あなたにとっての「あずかりもの」は何ですか?
北原太志郎
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名前:北原太志郎(だいしろー)
所縁のある地域:長野県松川町
GOKIGEN Nippon代表
1980年 長野県松川町生まれ。
北海道大学文学部卒業後、日本赤十字社に就職し、資金調達事業や青少年育成事業に携わる。
地域活性のコンサル会社に転職し、東京の品川宿のまちづくり事業を担当する。
30歳で東京生活に区切りを付けて生まれ故郷にUターン。飯田市観光課職員として、リニアでつながる飯田と品川の交流プロジェクトを立ち上げる。
7年間の市役所勤務後に独立。GOKIGEN Nipponの構想実現に向けて奮闘しつつ、地元松川町の観光地域づくり会社で滞在交流型プログラムの企画造成にも携わっている。
人生のモットーは、「日本人として生き、日本のこころを未来へ届ける」。
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